carnumber27

ライコネンやねん

2008年04月05日 16:52

言わずと知れたフェラーリの英雄 故ジル・ビルヌーブのcar numberです
4シーズンと6.5戦
通算勝利6勝
ポールポジションわずか2回
と 英雄 と呼ぶにはもの足りないというより なに? と思われる成績

経歴もスノーモービルの世界チャンピオンからレーサーになった と異例

1977年FISCOでの観客を巻き込んだ事故

しかし彼のレースを知るものは彼の虜となってしまうだろう

77年マクラーレンからスポット参戦 その3ヶ月後ニキ・ラウダの後がまとしてフェラーリでデビュー
翌78年の最終戦 地元カナダのモントリオールサーキット(現在のジル・ビルヌーブサーキット)で初優勝
翌79年移籍してきたJ.シェクターと大活躍
この年キャラミ(南アフリカ)ロングビーチ(西米)ワトキンスグレイ(東米)と3勝
コンストラクターズタイトルと僚友シェクターのワールドチャンピオンそして自身シェクターにつぐ2位の成績(この年ジルはセカンドドライバー契約をしていた)と最高の年だった
この年のオランダGPで一つの伝説が生まれた
2周目からトップにたち
49周目コントロールライブを通過し1コーナー入り口で左リアがバースト
ジルは 三輪車 となったフェラーリをなんと1コーナーから1周しピットまで戻ってみせた
ジル あきらめてないからなおしてくれ
ピットすたっふ じるハブ軸が折れてるから無理だよ
そしてやっと車から降りるが観客はその姿に惜しみない拍手をおくった

面白いのは翌80年からで
昨年の車とは打って変わって走らない曲がらないジルの言う糞車だった
この糞車をなんとか走らせよう曲がらせようとするジルに観客は興奮しいつしかジルのことをフャイターと呼ぶようになった

翌81年ついにフェラーリはターボ車投入 故H.ポスルスウェイトのデザインで合成もあがり走る曲がるのいい車の予定だったが いざ走らせてみるととんでもないじゃじゃ馬だった
しかしこの車に全てのテクニックをつぎ込みこの年モナコとスペインで2勝した
このときデザイナーのポスルスウェイトは 勝なんてありえちゃいけない車なんだ この車のじゃじゃ馬ぶりはデザインしたぼくが一番よくしってるから とコメントしている
またスペインGPではトップのジルから5位までなんと1.24秒という大渋滞ゴール
つまり4台の車が代わる代わるジルを攻めるがジルは全て抑えきった
ポデュムでは疲れはてた2.3位のドライバーと満足気に微笑むジルの笑顔が対照的で面白かった


そして迎えた1982年F1は車両側と運営側とで揉めていてイギリスチーム側がストライキをするなどドライバーがまともにはしれず前年チャンピオンのネルソン.ピケもレースに出させてもらえなかった
第4戦イモラでは出走台数14台でレースが行われた
終始ジルがトップを守るが僚友NO2のピローニが最終周回でジルをパスし優勝
この契約違反にジルは激怒した

運命の日5/9予選
ジルはQタイヤ(当時予選専用タイヤが存在)を使い果たしピットにもどるとピローニが自分より良いタイムとしる
グリップの落ちたQタイヤでアタックを開始
先行車ヨッヘン.マスがジルのためレコードラインをあけるがグリップ力の落ちたタイヤのため少し大回りで走っていたジルも同じ方向車を寄せてしまいマスの後輪にジルの前輪が乗り上げフェラーリはそのまま宙をまう
その衝撃と遠心力でシートベルトが切れ外に投げ出され あっというまにジルの後頭部から柵に激突した 即死だった

事故を撮影していたカメラマンは 宙を舞っているジルがヘルメット越しに笑っていた と証言していた

と簡単にまとめてみましたがいかがですか?