スーパーラットニキ・ラウダ
まいど
今日はニキ・ラウダです
1949年オーストリアの印刷会社の御曹司として生まれたラウダは10代前半に無免許ながら車の運転に取り付かれた
ラウダはレーサーを目指したが家族はそれを許さず勘当同然に家を出た
オーストリア国内でスポンサーを探したがラウダ家の妨害にあいスポンサーが付かなかった
しかし72年マーチからデビュー 翌73年はBRMに移籍
個人スポンサーの無いラウダは自分の生命保険を担保にレースに出ていたが 走れば走る程借金が増えた
この年のクリスマス前にある男がラウダをイタリアに呼んだ
エンツォ・フェラーリだ「君の借金はフェラーリが払おう
その代わりに君にはチャンピオンになってもらう」
74年ニキ・ラウダのフェラーリ移籍が決定した
同僚はクレイ・レガゾーニ(ホンダのCMでNSXをドライブし「nice nice」と言っていた車椅子のおっさん)だ
この頃のラウダの走りはイタリア人好みのファイター型だ