グレッグ・レモン
まいど
欧州自転車界で成功した初めての米国人がこのグレッグ・レモン(LEMOND-レイモンドだがフランス人は最後のDを発音しないのでレモンになってしまった)でやんす
レモンは元々はスキー選手になるため少年期から欧州で育ったでやんす
いつしか自転車に目覚め世界ジュニアチャンピオンになるでやんす
ブルターニュの穴熊事当時の自転車界の絶対王者「ベルナール・イノー」のアシストとしてデビューするでやんす
1986年には師と仰ぐイノーに3′10秒差をつけ初めてマイヨ・ジョーヌを獲得するでやんす
しかしシーズンオフに趣味である狩猟で誤って50発の散弾を受けてしまうでやんす
87.88年を棒に振り89年復帰したでやんす
宿敵ローラン・フィニョンを最終ステージ24.5kmのシャンゼリゼ個人タイムトライアルで逆転勝利
しかもツール史上最も僅差の8秒差で再びマイヨ・ジョーヌを獲得するでやんす
翌90年は山岳でクラウディオ・キアプッチがマイヨ・ジョーヌを着ていたが驚異のダウンヒル(撮影用の単車が振り切られた)で僅差につめ個人タイムトライアルで逆転し3度目のマイヨ・ジョーヌを獲得するでやんす
しかし91年から完走も出来ない事態となり94年には自転車を降りたでやんす
95年に手術し体内に残っていた6発の散弾を摘出したでやんす
つまりレモンは鉛の玉が体内に残ったままツールの王者として君臨していたという訳でやんす
レモンといいランスといい米国人の覇者は物語をもってるでやんすな
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