この名前を知ってる人は少ないと思う
実は拙も5〜6年前に F1伝説 という本で知った
拙は故人を書くことが多いが やはり故人である
高橋徹は1983年グラチャン(グランドチャンピオンシップレース以下GC) FISCOで当時GC最強の星野一義をおいつめながら最終コーナーで散った
享年23歳である
高橋徹は18歳でレースを始め FJ F3 と確実にステップアップしともにシリーズチャンピオンを獲得
幼少期からカートにのり先に名前を売った 同い年のレースの先輩 鈴木アグリを3年で抜いてしまった
レース歴4年22歳という当時では異例のスピードと若さで当時国内F2最強チーム ヒーローズ のエースに大抜擢(中嶋悟は国内でレースをしていたが海外に目を向けていたため前年チームを去り星野は自らのチームインパルを立ち上げたためチームを脱退)
開幕戦 いきなり中嶋悟に次ぐ2位で優勝の中嶋より多い報道陣に囲まれる
その後はリタイアが続くが予選は速く 星野中嶋でさえ 奴のタイムは出せない と言わせたほどだ
彼にとってのヒーローは前年ゾルダーに散った ジル ヴィルヌーブであり 徹もジル同様マシンのポテンシャルを最大以上引き出す走りをしたためリタイアが多かった
もし高橋徹が生きていたら 中嶋悟より先にF1に乗っていただろう
鈴木アグリより先に表彰台に立っていただろう
もしかしたら 優勝 の二文字も…
今日は少し時間があったので、過去のブログを拝読していました。
この人の話はたしか「レーサーの死」という本で読んだけれど、私にとっても衝撃的な死でした。
ボルテさんまいど
F1倶楽部 のNO10ですね
拙ももってます
この本は死を扱った本ですから読めば読むほど深い本です
高橋徹が生きていれば日本人初のポディウム中央に立つ男になっていたでしょう
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