1977年シルバーストーンでF1の前座として行われたF3レース
N.ピケ C.セラ D.ワーウィックその中にS.ナカジマの名前があった
事件はスタート直後に起こった
ワーウィックにセラが接触
次いでピケも接触
行き場の無くなった中島悟はスピンし後続につつかれ空中に舞い上がった
これがフライングジャパニーズ事件だ
中島悟は運よく軽傷ですんだが車はスクラップだ
後にF1ロータスチームで中島とピケはコンビをくんだ
その時中島はピケから真実を聞いた
ピケのマシンはホイールバランスが悪くワーウィックに勝てないと思いセラとワーウィックの接触に自分もわざとぶつけた
中島悟は 下手したら死んでたぞ と激怒したが ピケは何食わぬ顔で笑い飛ばした
いやはやピケは剛の者ですね
ピケは真摯に走る事、そして勝つ事を欲したドライバーですね。
時に礼儀に厳しかったり(82年ホッケンハイム)
束縛を嫌ったり(81年移籍問題)もしますが…
のずたくさんばんちゃ
81年はマクラーレン移籍の話ですね
確かマクラーレンに2億近い契約金を契約書の厚さ束縛を感じ ロン・デニスに一言
ブラバムの契約書は紙切れ一枚さ
ですね
82年のホッケンハイムはサラザール暴行事件ですね
ホッケンハイムの 黒い森 のシケインで サラザール に追突されたピケはマシンを降りたサラザールを突き飛ばし殴りかかった
この事件は世界中に中継された
ピケは一言も語らないが実はサラザールに対し世話を焼き可愛がっていた
追突後何の挨拶も無しにピットに帰ろうとしたサラザールに 礼儀ぐらいわきまえろ とでも言いたかったんでしょうね
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