ニキ・ラウダ続きです
1974年スペインのハラマで初優勝
オランダでも優勝する
翌75年は5勝しついにワールドチャンピオンを獲得する
翌76年は第9戦英国GPまで既に5勝し2年連続ワールドチャンピオンは目の前だったがニキ・ラウダにとって悪夢の独国GP
ニュルブルクリンクの悪魔わニキに牙を向けた
当時のニュルは一周23kmもあるサーキットだ
そのニュルの山岳コースでニキの312T2は突然コントロールを失い山肌に突っ込み炎に包まれた
仲間のドライバーに救助されたが全身火傷とFRP中毒で一週間生死の境を行き来する
当時のF1のカウルは強化プラスティックファイバー(FRP)でできていた
FRPの燃えた煙を吸い込むと人体に悪影響をもたらすといわれている
医師も「もう私より牧師に頼まれた方がよいのでは」と匙をなげた
しかしニキは不屈の闘志で蘇り復活をした
6週間後の伊国GPでニキは4位に入り世界中を沸かした
この間ハントが対等し4勝この年通算6勝する
チャンピオンは最終戦までもつれた
雨のFISCOで最終決戦が予想されたが3周で早々にリタイアしてしまった
「このコンディションでレースをするなんてクレイジーだ」が理由だ
この行動にイタリアのファンはニキ・ラウダにさめてしまった