まいど
最近ビールと食事しか書いてないでやんすから
たまには歴史を書くでやんす
あの織田信長に
稀代の大悪人
と言われた人物がいたでやんす
この人物は信長を裏切ったにもかかわらず許されたでやんす
その人物こそ
松永弾正忠久秀
でやんす
この松永久秀は元々畿内、四国の名家「三好家」に使えていたでやんすが
主殺しをし畿内の三好を四国に追いやり畿内の権力を握ると将軍家に近づくでやんす
将軍家に近づくと今度は将軍を暗殺したでやんす
前将軍の幼い子供を将軍にすると自分が補佐にまわり将軍を傀儡とし自分が実権を握るでやんす
さらに東大寺の大仏殿を焼き討ちするという悪行をはたらくでやんす
信長に使えた時は
朝倉攻めの時
金ヶ崎での浅井、朝倉の挟み撃ちにおいて信長の道案内として重要な働きをしたでやんす
が
その後の信長包囲網の時寝返り信長に刃を向けるでやんす
信長包囲網が一段落すると信長に許しをこい大和信貴山城安堵で許されるでやんす
謙信、本願寺による第2次包囲網の時再び裏切るでやんす
信貴山城に籠城し
信長が天下の名茶道具「平蜘蛛」を差し出せば許すと言ったが拒否し平蜘蛛に火薬を詰め自爆死したでやんす
実は城は砦だけだったでやんすが天守閣を作ったのは松永久秀が最初と言われているでやんす
火薬で爆死したのもこの人が初めてでやんす
信長の比叡山焼き討ちなどは松永久秀を真似たとも言われているでやんす
自分の父親と同じ歳のこの男に父親の照らし合わせいたかも知れないでやんすな