風説

ライコネンやねん

2011年05月02日 09:40




まいど

歴史の風説には様々な面白い説があるでやんす
その中の「天草四郎は豊臣秀頼の落胤」説に注目してみたでやんす

一般的には大阪落城の時に秀頼は死んだとされてるでやんす

鹿児島にはこんな風歌が残ってるでやんす
「花の様なる秀頼様を 鬼の様なる真田が連れて 退きも退いたり加護嶋(鹿児島)へ」
これは真田源次郎信繁(真田幸村ではないかと思われる人物)または真田大介(信繁の嫡子)が秀頼を連れて島津を頼って逃れて来たことを歌ったでやんす

大阪落城時秀頼の遺体は発見されておらず
現に秀頼の墓は九州にあるでやんす

また徳川が江戸から離れた島原での小さな乱の「キリシタン革命」にあまりにもむきになって大群で潰しにきているという点で
「天草四郎は秀頼の落胤説」という風説になったでやんす
徳川はなんとしても豊臣を根絶やしにしたかったでやんす様でやんす

この辺も調べてみると面白いでやんすよ


関連記事