まいど 続きです
78年グランドエフェクトの技術を開発したロータスが力を盛り返しチャップマンがロニーを ロータスのセカンドドライバー としてロータスに呼び戻した
この年ロニーは2勝するがチャンピオンを狙うマリオ・アンドレッティの忠実な アシスト を務める
この年のロータスの1−2フィニッシュは4回と当時最多であった
しかも
ベルギーGP 9.9秒差
スペインGP 19.56秒差
フランスGP 2.93秒差
オランダGP なんと 0.32秒差
と 忠実なアシスト として働いた
そして迎えたイタリアGP
ロニーは予選で車を壊しスペアカーで決勝レースを走ることになった
しかもグリッド後方から
フォーメーションラップ 各車グリッドにつくが 後方がグリッドにつく前にブルーシグナル(当時はシグナルオンでスタート)
後方はなにがなんだかわからないうちにスタートしたため大混乱をまねく
多重衝突 ガスが漏れ火災発生
1番の とばっちり をうけたのは ビットリオ・ブランビラとロニー・ピーターソンであった
2人共両脚を骨折しヘリコプターで病院に運ばれた
新聞紙上では命に別状は無いと発表されたが翌日ロニーは呼吸器に支障をきたし死亡した
マシン炎上時に大量のFRPのガスを吸い込み 医師がその症状を見逃したのである
この時点で残り2戦をまたずにマリオ・アンドレッティのワールドチャンピオンが決定した
そしてロニーは無冠の帝王となった